精心道オフィシャル・ニュースレター
「ピュア・ハート、シンプル・マインド」
Pure Heart, Simple Mind ®
第1巻、第3号 ; 2003年1月31日
『展望は広く大きく』
Wide Angle Perspective
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【今号の内容】
1. ニュースレターの目的 2. スタート・ライン
3. 展望は広く大きく
4. 子ども時代のエンドレス・サマー
5. プラクティス「幸運、それとも不運?」 |
6. おすすめ書籍・CD
7. エンド・ノート
8. 関連リンク
9. 著作権・登録と解除 |
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1. ニュースレターの目的
前号は、新しい人生の見通しを得るために‘知らないこと’がいかに強い力をもつかという内容だった。
身の周りで起こっていることに対して即座に反射的に急いで答えを出さないことは、失敗があっても悪い感じを抱かずに感情を保ちつつ、自分の経験から有益に学び続けるためのよい方法になりうる。
「正しい−間違い」「良い−悪い」「利口−まぬけ」といった概念に拘泥して二元論的に考えることをやめれば、人生から学び、適応する能力が高められるような幅広い展望が得られることだろう。
人生は長く、たくさんの経験が詰まっている。幅広い視野をもっていれば、現時点で物事がどんなに良かろうが悪かろうが問題じゃないことがわかるだろう。状況はいつも変化へと向かっているのだから。
ニュースレター向けに形を整えているが、これは実話である。
若い頃、私はアテネで尋常ではないアメリカ人に会った。初めて会ったとき、彼にはきれいで優しいフランス人の恋人がいた。誰もが彼を褒めそやし、あんなびっくりするほどの美人に出会えた君はなんて“運がいい”のだろうと語っていた。温かく微笑んだ後、彼は普段こう答えていた。「運のよし悪しなんてよくわからないね。これは人生ぜんたいのほんの一時のことさ。ただ言えることは、今このときを俺は確実に楽しんでいて心から感謝しているよ」
会った後しばらくして、彼はギリシアの刑務所に収監されてしまった。当時の冷酷な軍部によって支配されている刑務所だった。警察が確たる証拠もなく彼を投獄して以来、アテネで集まったすべての友人たちは、彼はなんて“運が悪い”のだろうと話していた。
私は面会に行き、この不運に友人たちが心を痛めていることを彼に伝えた。温かく微笑んだ後、彼はこう言った。「運のよし悪しなんてよくわからないね。これは人生ぜんたいのほんの一時のことさ。ただいつの日かすごい体験談が話せるときが来るに違いない。そのことに感謝しているよ」
数年後に彼は釈放され、アメリカに戻った。カリフォルニアの海岸に沿って旅をしていたとき、彼は道ぞいのカフェでかわいい女性に会って、じゃれ合い始めた。知る由もなかったが彼女にはギャングに属するボーイフレンドがいて、その男が仲間を連れて姿を現し、彼を見て激怒した。友達に“分別を教えてやる”ために男たちは道端に彼を投げ出し、そして岩がごつごつした崖の上から30メートル下の海へと彼を落として、男たちは去った。
数時間後、レスキュー隊が到着し注意深く断崖絶壁をくだったところ、驚いたことに私の友人はまだ息をしていることがわかった。彼は道路に引き揚げられ、居合わせた数多くの見物人たちは、死なずに済んだのはなんて運がよかったのだろうと目をみはった。もしこのとき私の友人の意識が失われていなかったら、こう言ったんじゃないだろうか。「運のよし悪しなんてよくわからないね。ただ言えることは、地獄のように痛むよ」
数日後に意識がもどったとき、彼は腰から下が麻痺していることに気づいた。私は様子をうかがおうと電話で彼と話した。「チャーリー、君ならどう言う? 生きていて運がいい、それとも半身麻痺で運が悪い?」そう訊かれたけれど、私は返す言葉がなかった。
それから何ヶ月も後に直接彼と会うことができた。このとき彼はすでに自分の車椅子を“過激に”改造し、ウエイト・リフティングによって体格のよさに磨きをかけていた。
「以前は人生がどう見えるか、幸運か不運か口にするのは簡単なことだった。いま深く理解できるのは、幸運であれ不運であれ、それぞれの瞬間は味わい深いということ。もし自分の境遇に“運がいい”というラベルをつけたらそれはどういう意味だ? 起こったことに満足ってことか?“運が悪い”というラベルはどういう意味だ? 起こったことに不満ってことか? じゃ明日はどう思う? 明後日は? 1年後は? 自分のことをどう感じてどう生きるかを“運がいい”とか“運が悪い”というラベルに決定させたいか? 俺はまっぴらだね!」彼のいつもの温かい笑顔を見ながら、私は彼が目の前にいることに感謝した。
私が8歳くらいのときのこと。ブルックリンの近所を巡回しているトラックがあった。子どもを乗せて楽しませてくれるトラックだった。 料金を払えば乗せてくれて、そして降りるときに小さなオマケをくれるのだ。トラックに乗って大きなタトゥの転写シールをもらって私は喜びいさんだ。というのもデービー・クロケット [Davie Crockett; アラモ砦の戦いで有名な英雄的開拓者] が巨大な熊を仕留めている絵柄のでかいシールだったからだ。家に飛んで帰ってすぐさまタトゥ・シールを自分の裸の胸にあててみた。シールの転写のじゃまになる胸毛がまだ生えていなくてほんとによかったと思ったことを覚えている。ところがなんと信じられないことに、私の父親はタトゥの転写を完全に失敗してしまった。濁った水となってすべては私の胸から流れ落ち、ショックと不信感で大粒の涙がこぼれた。完全に打ちのめされた気分で、それでもなんとかトラックを見つけようと、私は外に出て焦りながら近所じゅうを走りまわった。しかしトラックの姿はどこにもなく、たぶんすでにフラットブッシュかコニー・アイランドあたりへ行ってしまったのだろう。
トラックが再び戻って来たのは2週間後のことだった。そしてつまらない小さなプラスチック製のホイッスルを配っていた。二度とタトゥ・シールを持って現れることはなかった。当時、タトゥ・シールはおもちゃ屋に置いておらず、タトゥ専門店は子どもが行ける場所でもなかった。
これを書いている今でも、つい先日の出来事のように感じる。あの日私は“完全に運が悪かった”といまだに感じている。そんなにも容易く私たちは凍りついたように立ちすくみ、人生ぜんたいに対する感覚は失われやすい。そんなにも容易く未来があるという事実とのつながりを失ってしまう。だからこそ、幅広い展望を持っているかどうかということが、私たちの未来の質を決定づける上で重要な役割を果たすのだ。
子どもにとって、とくに夏の時期は、毎日が大冒険だ。毎日がエンドレスに思えるほど夢中に過ごす。今この瞬間をフルに生きるこの感覚は子ども時代に得られる真のギフトであると同時に、ときには障害にもなる。なぜなら、通常子どもは人生について短期的で狭い見方しか持ち合わせていないからだ。一時的な出来事であってもそれが未来の幸せの可能性を消滅させてしまうかのように思ってしまう。
人生を振り返ると少なくとも私の場合、半ダースはその進路を決定づけたと思われる場面があった。考えてみれば特定の出来事というより‘運がいいか悪いか’‘呪われているか祝福されているか’‘馬鹿か利口か’自分自身をどう認識するかが私の将来を決定づけたように思う。
今思えば、ひとつの瞬間 [moment=局面、場面、状況] は次の瞬間へとつながり、どんな瞬間も次の瞬間を導いている。そして数限りない瞬間と出来事の連続が私たちの人生なのだ。どの瞬間や出来事に1番の重要性を与えるか、またどの瞬間や出来事によって自分の人生を定義づけるかを私は選ぶことができる。
過ぎゆく人生の中で、もし幅広い視野を持ちつづけたなら、悲しいか幸せか、運がいいか悪いかといった感覚は時間の流れとともに和らげられるものであり、そしてよい時期と同程度に悪い時期もあり、幸せな時もつらい時も、幸運な時も不運な時も同程度にあることに気づく。人生で起こるたいていのことが自分のコントロール外にあるという事実を受け入れることで、自分が確実に作用を及ぼすことができる人生の側面に注意関心を向けることが可能になる。
そして困難なチャレンジに取り組んでいるとき、私は未来に感謝できる。まさに昼が夜になるように、春が夏になるように、不運は幸運に、哀しみは喜びに変わるだろう。何ものもとどまってはいない。私たちが呼吸を続けるかぎり、変化は必ず訪れるのだから。
静かな場所で少し時間をとり、これまでに起きた出来事や人との関係で非常に重要だと思われるもの4つを書きとめよう。2つは幸運で祝福を感じるもの、あとの2つは不運で呪われていると感じたものにする。
4つの出来事を、幸運−不運−幸運−不運という順に並べる。
まず1番目の出来事について考える。何であれ記憶が蘇ることを行う。必ずという訳ではないが、多くの場合私は目を閉じるように勧める。記憶を思い出しながら身体で何を感じ、何を感じないかに気持ちを向けよう。自分の呼吸、姿勢、もしあればごくわずかな身体の揺れに気持ちを向ける。記憶の中の光景や音などを伴って、そのとき経験した身体の感覚がじゅうぶん呼びもどされるまで続ける。
目を開けて、呼吸や姿勢、わずかな揺れなど何であれ自分の身体が経験したことで気がついたことを短く簡潔に書きとめよう。書けたなら、深く呼吸し‘通常’の状態に戻るために身体を動かす。気分の切り換えができたら、順に残りの3つも同様に作業する(不運−幸運−不運)。1つのトピックが終わるごとに細やかな身体の経験を書きとめ、再度、身体を振り動かして‘通常’の状態に戻る。
もしこのプロセスが功を奏したなら、幸運なり不運なり呼び戻す記憶の種類によって自分の身体的・肉体的な経験に相当の違いがあることにはっきりと気づくだろう。実際にその違いが明確に分かれば、過去の経験の感じ方を変化させるために、記憶に対する身体の反応を試しに変えてみるといい。理論的には、特定の体験について考えたり、思い出したり、細かく調べたりするときの自分の身体の使い方を意図して顕著に変えたなら、起こったことに対する感じ方と体験のとらえ方も顕著に変わるはず。これは力強い学習になるだろう。過去を振り返ったとき、初めはどれほどそれがひどく強烈に思えたとしても問題じゃない。時の流れとともに、初めに思っていたほど破壊的な出来事ではないと感じたことがないだろうか。実際、私にはそんな経験がある。
そして、もしどこかで‘デービー・クロケット’のタトゥ・シールを見かけたら教えてほしい! 私はいまでも1枚買いたいのだ。
「精神と自然―生きた世界の認識論」
グレゴリー ・ベイトソン[著] 佐藤良明[訳] 新思策社
"Mind and Nature" by Gregory Bateson
ベイトソンの著作は最初は難解だがいったん彼が相手にしているものが感じとられるようになると、信じられないほど受け取るものがある。ベイトソンによって語られる「精神と自然」の本質は宇宙の中に存在する私たちを理解する上で途方もなく含蓄に富んでいる。生命に対する深い考えに影響する壮大な一冊である。またNLPを学ぶ人であれば、多くのNLP理論がベイトソンにその基礎を置いていることがわかるだろう。
Cirque du Soleil
シルク・ドゥ・ソレイユは世界的に有名な度肝を抜くサーカス団である。カナダ出身の彼らが作ったCDはすばらしく、とくに "Saltimbanco" と "Quidam"の2曲が私は気に入っている。全部を聴いた訳ではないがほとんどの作曲はベノワ・ジュトラス(Benoit Jutras)によるものに違いない。でもそれは伏せておこう。とにかく一聞の価値あり。このCDもまた、ベルギーのマルレーンとパトリックの2人が私に教えてくれたものだ。
● ベルギーのコーチ兼トレーナー
リサロッテ(Liselotte Baeijaert)さんのコメント:
"Chants of India" by Ravi Shankar
私にとって最愛のCDを紹介します。娘と息子も含めてもう何百回も聴いています。このCDは静けさ、安らぎ、受け入れ、そしてくつろぎをもたらしてくれます。ぜひ聴いてください。
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http://www.nlpu.com(NLPユニバーシティ)
The main teachers in this high quality NLP organization are Judith Delozier and Robert Dilts. Not only are Judith and Robert first class teachers and innovators, but they are two wonderful human beings as well. The NLPU site has a wealth of information about various aspects of NLP, so it is well worth checking out.
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