合氣道は、すばらしいリラクゼーションの感覚、幸福感、優雅さ、バランス、思いやり、全般的な気づきに人が到達するために役立つ武術である。
合氣道の原則は日常生活に組み込むことができ、そして即時的によい効果を練習によって得ることが可能である。自分のしていることすべてに対し、肉体的、心理的、感情的状態の変化がどう影響するかを学ぶために練習者は道場にやってくる。幸せで、健康で、いきいきした 感覚が増すことを望んで人は練習する。あらゆる年齢、どんな健康状態かにかかわりなく、皆得るものがある。
神経言語プログラミング(NLP)の「神経(Neuro)」が意味するものは、すべての経験は、私たちの5つの知覚神経を通じて受け取られることを差す。「言語(Linguistic)」とは、5つの知覚で受け取った情報を言語へとコード化することである。「プログラミング(Programming)」は、そのコード化の作業が脳によって編成される方法を差している。
神経言語プログラミング(NLP)は人々が活動する際に、すばらしい創造性、リラクゼーション、幸福、思いやり、優雅さ、知性に人が到達するのを援助する研究領域である。NLPを学ぶことで得られる可能性のある成果は、合氣道で得られるものと非常に似ている。
技法の学習とその適応力を進歩させるためにNLPで用いられるテクニックは、合氣道の基本概念と非常に共通した点をもっている。NLP創始者のひとりであるジョン・グリンガーは、‘合氣道はNLPを身体的に表現したものだ’と言う。
NLPの創始者たちは、優秀な行動を示している人々を研究することから始めた。
NLPの主たる目的のひとつは、人々を研究する中で得られた優秀であるために必要な系統立った法則を、生徒が自身の生活に移しかえる作業ができるように生徒を援助することである。
合氣道の植芝盛平先生は、多様な武術の熟練者たちに学んだ。合氣道の主たる目的のひとつは、道場のマットの上で習ったことを自分たちの毎日の生活に移しかえる作業ができるように、練習者を援助することにある。
合氣道で、私たちはいかに戦うかを習うのではなくむしろ、どうやって心のこもった思いやりのある生産的なふるまいをもって生きるかを習う。
たいへんに重要な点は、NLPの考えかたのひとつだが、NLPは多彩な非凡な人々のパターンの研究から学習されたことの、統合体であるということだ。
合氣道もまた、多様な非凡な武術家たちがたどったプロセスの、ひとつの統合体である。
NLPの創始者たちは、ある領域の数人の天才たちが仕事を成し遂げる過程を慎重に研究し、そこで見えてきた高い質のパフォーマンスと学習の原則を抽出した。
それらの原則を生徒が自身の経験を通して理解する目的で、エクササイズとテクニックが生み出された。NLPのエクササイズとテクニックは、使えるようになればよい単なるスキルであるよりはむしろ、学習者自身がそれを辿ってさらに先に進むための案内標識のようなものだ。
合氣道でも同じ真実がある。現実の世界に、訓練法とテクニックをただ当てはめようとはしない。自分が直面している状況にあった形で、マットの上で習った訓練法とテクニックを、自身が適応・応用して使うのだ。
この、直面している状況にあった形で適応・応用する能力が、[NLPとは一体何なのかという] ミステリーの始まりを表わすサインとなる。人々が示す優秀さを、どのように自分のモデルにするかという各人固有の学習プロセスである。
柔軟性、気づきの広がり、知らないことに対するオープンさ。そして知らないでいる間じゅう何をするかは「わかっている」こと。生徒であれば誰にとっても、このようなことが学習のための重要な原材料となる。
心に留めておくべき重要なことは、それぞれの生徒は、NLPや合氣道を異なった学習にするということだ。それは生徒が成し遂げたいと願っているものが何なのかに依存している。
コミュニケーションの90%は非言語のものであると、NLPの人は言う傾向がある。すなわち、実際に言葉に出されたものは、コミュニケートされているうちのほんの10%にすぎないということだ。
自分の相手側の心を理解することを学ばねばならないと、合氣道の人は言う傾向がある。「臍下(セイカ)の一点」を使って、あるいは相手側の「ハラ」へと(ラジオのダイヤルをあわすように)調子をあわせて、相手側の心を学ばねばならないということである。
ここで言われている用語としての「心」(Mind)は何を意味するのか、それ自体が興味深い研究になりうる。
私たちが生命について語るとき、数多くの喩えがある。ある人はすべてのものをつなげあわせている「接着のり」の一種がある、と言う。またある人は、生命の織物ぜんたいを貫いてはしる1本の共通の糸が存在する、と言う。
合氣道では、この「接着のり」あるいは共通の糸のことを、「氣」または宇宙のエネルギーと呼ぶ。身体をとおして「氣」の理解を得る目的で私たちは訓練する。
NLPプラクティショナーにもまた、同様の課題がかせられていると、私は信じる。
動きとバランスと流れの連係の中で、まず自身の身体の感覚をしっかりと経験することをスタート地点にするのが、合氣道の練習のアプローチ法である。
人が最高の状態にいるとき、それぞれの精神はどのように働くのかという共通の糸を探究するという、より思考的なアプローチをたいていのNLPはとるように見える。
自分にとってより得るものがある習慣を作りあげることに、私たちはNLPと合氣道の研究を役立てることができる。実行するためにあるエクササイズと役割を通して、私たちは新しい習慣を形づくる。
それらの技術を用いて「適切な習慣」を習いながら、同時進行でその新しい習慣を、自分の人生の多様な他の部分にそれが「ぴったりくる」ように還元して適用する。
「論理的/知覚的な枠組み」
私が提示する指導と学習のモデルは、与えられたどんな状況であれすべての関係者にとって最良のことは何なのかに常に注意を払うことに重要性を置いている。多様性のある全体の中にあるどこか1つのことがらに向ける注意関心とは違って、まさにこの「全体への注意関心」は、NLPと合氣道という2つのシステムにとって非常に本質的なものだと私は考える。
NLPでは、たとえ販売員だろうがその他の領域の人であろうが、クライエントを特定のサービスや制作物や考え方に向けて方向づけることが求められる。私たちはクライエントのニーズと目標が明らかになるのをアシストし、そうして彼らが「自身の」最良の興味の中で活動できるように援助する。
合氣道では、たとえ私たちが攻撃を受けた場合であっても、攻撃者を大切に扱うことを習う。ちょうど自分自身にそうするように。そういったふるまいで活動したなら、(どちらの技術モデルであれ)他の人が私たちへの信頼感を伸ばすのは自然なことだ。私たちとの関係にコミットメントを続けようとする。そうやって彼らは「私たちの側の」ニーズを、彼ら自身が考慮すべきことがらとして扱うようになるのである。
合氣道における「1点を保て(中心にとどまれ)」という教えは、心と身体の活動のバランスを保つことを導く。NLPの研究でも同様のことを成し遂げることを私たちは望んでいる。
NLPと合氣道の両方で、「自己」と「他者」との間に、いつもサイバネティック(cybernetic)なエネルギーの循環があることを、私たちは理解し感じとろうとする。私たちはすべてあらかじめ万物とつながっているのである。
NLPと合氣道の両方で、「1点を保ち(バランスに気をつけて)」、動的なリラクゼーションの状態を維持している間じゅう、私たちは継続的に「氣」を広げている、そして精神/呼吸を自由に宇宙の中へと送っていることが提示されている。
NLPと合氣道の両方で、自分のパートナーの信念・アイデンティティの感覚・特定の状況に対する知覚の仕方がもつ感情的な影響力を、いかに理解するかが示されている。
NLPと合氣道の両方で、いつでも自分の相手側の「氣」を尊重することが示されている。この感覚において、相手側がもつ世界のモデル(認知モデル/ものの見方)を尊重することが重要であると言える。
NLPと合氣道の両方で、数あるなかでもとりわけ「相手側の場所に自分自身を置く」ことが探究される。それは、もし私たちが相手側と同様の世界のモデルをもったとき、いかに自分は反応し、何を感じるのかという探究である。私たちは、彼らの呼吸のパターン、姿勢、動きに自分を順応させることで「相手側の人間になる」作業をする。NLPではこれを‘ラポールを築く’と表現する。
NLPと合氣道の両方で、いかに自信をもってふるまうか私たちは学習する。とくに顕在意識のレベルで、実際のところ何が生起しているのか、あるいは次に何をすべきか、わからないときにである。
NLPと合氣道の両方を、プラクティスとして私は捉える。どのようなときであれ自分がもっている最大限の能力にアクセスしながら、すぐれた気づきと思いやりをもって行動するために役立つプラクティスである。
ストレス下にあるとき、誰もが自分がもっている全範囲の能力を使うよりはむしろ、「最も価値を置いている」いちばん馴染みのある方法だけをくりかえしてしまいがちだ。
もはや有効ではなくなった習慣的な対処法を試し続けるその姿は、沈みつつある手こぎボートに乗った人間を思わせる。彼はひとつひとつ、ほんとうには重要ではないものから順に、ボートの外にものを投げ捨てる。ついには、自分が生き残り、幸福であるために、最低限生命の維持に必要なものだけを残すだろう。
私たちのNLPと合氣道の研究では、不必要なものをわきに置きたいのだ。すなわち、私たちは複雑なやりとりや関わりを減らす。それに換えて、すぐれた素質と、慈愛と、コミットメントだけを持っていたいのだ。‘ほんの少しだけ残った必要なもの’――ピュア・ハート、シンプル・マインド――を私たちが体現できるまで。