精心道において私たちは、いまとは何か違った方法をとることで、人々が新しくより良い人生を創るのをサポートします。ときとしてそれは、偏頭痛や慢性疲労を和らげることであったり、ストレスの軽減であったり、またはいろんな周囲の人との関係の改善であったりします。
私たちは、幅広い分野で人々の援助にあたることができます。というのも、私たちがとるスタイルは、症状それ自体や、いったい何が「悪い」のかに焦点を当てるのではなく、健康で全人的であることに注意関心を向けるからです。次に引用するある医師の言葉が、このことをうまく言い表わしているかもしれません。
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――病気も生体の生命表現の1つであると考える者は、もはや病気を目の敵にはしません。病気は患者の創造物であると認めた瞬間、ぼくには病気が、ある人の歩き方、しゃべり方、表情の動かし方、手の動き、その人の描くスケッチと同じような一つの特徴でしかないことがわかりました。その人の建てた家、結んだ契約、考えの辿り方と病気とは同じようなものなのです。つまり病気は、人間を支配する力の無視し得ぬ象徴であって、ぼくは自分が適当と認めた場合、この力に力を及ぼそうと努力するわけです。
ゲオルク・グロデック : 著「エスの本―無意識の探究」
(岸田 秀、山下公子 : 訳/誠信書房/355頁)
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あなたはすでに非常に優れた学習者です。
これまで生きてきた中で、すでにたくさんの素晴らしい成果をあげています。「異国」の言葉を流暢に話し、野生の中で暮らし、とんでもない世界で生きてきたのですから!
自分のスピリットと、宇宙のスピリットをつなぎ合わせよう。それで、どんなことであれ可能になる。どんなイメージでこれを捉えようとも、あなたは「できる」。
ワックス掛ける、ワックス取る― 基本の動き、基本の信念。
映画『ベスト・キッド(原題はThe Karate Kid)』の中で、空手のマスターが少年に教えるときに使っていた「ワックス掛ける、ワックス取る」というアプローチがあります。クルマのワックスがけで円を描くように手を動かしているうちに、少年は空手の基本動作を身につけて強くなってゆきます。精心道において私たちは、確かな存在感をもって「居る」ための基本技術をものにするために、いろんなプラクティス(実践練習)をします。精心道では、どのプラクティスも信条を基礎にしていて、どの信条もプラクティスを基礎にしているのです。
充分なプラクティスを重ねることで基本技術を身につけたなら、やがてどんな状況であろうと対処できる技術へと応用していけるでしょう(空手の少年がトーナメントで優勝したように)。
いまこの「瞬間」の中心に居よう。
自分がいまこの「瞬間」の中心に居ると、頭の認知機能は後退し、ソマティック・マインド(身体に備わった英智)が活動的になります。ソマティック・マインドが活動的な状態では、創造性、インスピレーション、そして希望が生まれる源として、普段は息をひそめている自分の中の資源を活かすことができます。過去は過去です。そして未来はいつやって来るのか分かりません。私たちはいまこの瞬間以外に、生きるところなどありません。時間を味方につけたなら、何も急ぐ必要はないのです。
自分の身体の中心に居よう。
身体にはそれ自体の中心があります。生理学的にリラックスしていれば、姿勢はバランスがとれ、重心は安定し、優美さと余裕をもって振る舞うことができます。その状態にある人は、「少なく動いて、多くを得る」という言葉の、本当の意味を理解するでしょう。
身体的に中心を定めれば、同時に感情的にも中心が定まります。実際、そのどちらか片方だけでは成り立たないのです。
自分をこの宇宙の中心に据えよう。
いまこの「瞬間」の中心に居て、身体の中心を保ったなら、この社会、この世界、この天地の中の適切な場所に自分は居るんだという感覚をのばすことができ、スピリットとのつながりが強くなります。それは何にもまして心強く、しかもくつろいだ感覚です。その状態にある人は、アテにできる事や人を追いかけるのではなく「私に もたらされるものに任せる」という言葉の、本当の意味を理解するでしょう。
自分の中心を失なったらそこに戻ろう。
どれほど、この瞬間の中心に居ても、ごく自然に一日の中で何度でも、くり返し自分の中心を失います。人間であれば誰もが経験することです。
いったん、自分の中心から外れた感じがしたり、この瞬間に居る感覚を失ったときにするべきことは、できるだけ早く、もう一度中心に立ち返ることです。ときとして私たちは、中心を失いながら、こんなふうに気づくのに何年もかかることがあります「何てこった、明かりは点いているのに中には誰も居ないじゃないか!」
自分の中心を他の人と分かち合おう。
プラクティスによって中心を保つことができるようになるにつれ、自分が必要としているものをすでに自分は持っているのだと気づくでしょう。必要なものすべてを持っているなら、それを他の人と分かち合うのは自然なことです。
考える必要なしに「分かる」
この瞬間の中心に居て、ソマティック・マインドに従っていれば、「考える必要なしに、考えて行動する」ことができます。(慣れた人なら、頭で考えなくても自転車をこいだり、クルマの運転ができるのと同じこと)その状態にある人は、余計な努力なしに優美に生きていて、パフォーマンスも効果的で巧みなものになります。
ノー・シンキング・マインド(無心)の状態で、適切な時に、共感する心をもって行動すると、宇宙はあなたを支えてくれます。その状態にある人は、習慣になってなかなか抜け出すことのできない強い行動パターンを打ち破るための力が、自分の中から湧き出て来るのが分かります。
学ぼうとしていることで、自分がすでに知っていること以外のものなら何でも試そう。
知っていることは、それ以外の何かともつながっています。何か新しいことを学んでいて、すでに知っていることが役に立たないのなら、それは難所をうまく乗り越えるための適切な道に、自分がいることの表れです。
問題は問題ではありません。
状況がどうしようもないものに思えるとき、「問題が問題ではなくなる」状況とはどんなものかを探すことでうまくやることができます。
例えば、気に入ってもらいたいと思っている聴衆の前となると、あまりにも自分を出せない場合。気負うことなく人に向かって話せる状況を思い描こう。(友達や愛する人、子どもと話したり、生け花のクラスを自分が教えているときのこと...etc)自分がうまくやれた経験を、いま直面している問題をまたぐ橋として活かすことができます。
経験は知的な理解よりも強力です。
何かを学ぶいちばんいい方法はそれを「やること」です。何ができて、どうしなければいけないか「について」話すのではなく。
精心道で私たちが提供したいのは、学ぶ人からみて最高のお手本でいることです。すなわち、ストレスの軽減のしかたを教えようとするなら、言葉であれこれ言う前に、まず教えている自分自身が平静な態度になってみせること。関節の痛みを訴える人を援助するときには、丁寧な優しい態度で接するということ。
ほんとうの学びには、頭で理解するだけでなく、体験と実行が必要です。
学ぶ能力を高めるには、多角的なアプローチをとることです。
一枚の絵は千の言葉に値します。同じことが、ごく短い詩や、ちょっとした動作やジェスチャーにも言えます。いつもとは違ったやり方をすればするほど、上手にそして巧みに行なうことができます。1つや2つではなく、自分がもっている感覚を総動員しよう。
「戦略」よりも大切なのは「心の状態」です。
優秀さをもってことにあたろうとするなら、練りあげたいちばんいいと思う戦略を基盤にするよりも、自分自身という確かな存在感を基盤に行動したいでしょう。
次にすることの戦略を立てようとして「いま&ここ」の流れを断ち切ってしまわず、自分が居る「いま」に足をつけよう。優れた技術と美しい振る舞いをとるうちに、やがて「いま」自分が未来(だと思っていたところ)に居ることに気づきます。この瞬間と、自分の身体と、この天地の中心に居ることは、未来をあなたのもとにやって来させます。